周りの反応と自分の経験から、自分がどう感じているか考えてみる

2016年7月19日火曜日

感じた事・考えたこと

本日は友人宅でゲーム会の日でした。
正確には、知り合って1年以上の方のお兄さんのお宅です。

知り合って1年以上経って定期的に遊んでる仲なら、友達と言って良いかとは思いますが、そのお兄さん(私より年下)の場合はなんと言ったら良いのかとか、
普段、苗字で呼んでる場合、その人以外の家族の方がいたら何と言えばいいかとか、すごく迷います。

先日買った、外国人から見た日本の本の、「友達に『さん』を付けて不機嫌にさせた」とか私もよく分からんので、私も言ってもらうまでは切り替えできないと思います。

ちなみに、友人宛のメールもビジネスメールも全部敬語です。
タメ語でメールを書くというのがすごく難しかったので、毎度悩むなら敬語で、ということかと思います。

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私が感じる人間関係が変だなと、この1年色々体験してみて感じます。
極端なことを言うと、初対面の人と10年来の友人とのやり取りの感覚がそんなに変わらないという感じです。

恐らく、皆さんが初対面の人に感じるであろう感覚を毎回感じてるようなそんな感じです。
さすがに理解してきてからは、ある程度リラックス出来るようになりましたが、買い物や床屋でもそんな感じでしたので外出するのはけっこう気を使います。

あと、私の日常の感じ方は、毎日人間関係がリセットされるような感じで、記憶を頼りに「この人なら友達感覚で良い」とか「この人は良く会ってるけど、目上の人なので敬語」とか、そういう感じで、分からない場合はとりあえず敬語です。
中学時代の同級生はタメ語、高校以上の知人はよほど仲が良かったでなければ敬語、という感じでやっています。

話が飛びますけど、一般的にディズニーランドとかVRとか流行ってる気がしますけど、私の場合毎日が非日常みたいな感覚なので、実際に観光スポットとかVR見てもあんまり非日常感を感じれないんですよね。
極端な話、飛行機とか鉄道を使って旅行にいくのも、その辺散歩に行くのも恐らく同じ感覚でしょう。

推測ですが、皆さんが感じてる楽しい現実は、私の場合の夜寝てる時に見る夢と似た感じなんじゃないかなと思います。

また、テレビで一般の方々がなんか楽しそうにしている状況で感じている感覚も多分ちょっとずれてて、テレビの世界にポーンと放り込まれた感覚に近いです。

ですので、毎日ちゃんとやるべきことをやって過ごしているかどうかを判定するのは、この瞬間やることは無理で、過去数ヶ月を振り返ってみないと判断できないです。
ちゃんとやれてるか分からない私ですが、週3日定期的に行く場所ができてる事にありがたみを感じて頑張ろうと思います。

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あと、ボードゲームを何度もやっていますが、やはり理詰めで考えるのは苦手です。
ニュースとか出来事とか、答えが一意でない物事の場合なら自分の考えを述べる事は可能ですが、
ボードゲームみたいに
「今こういう状況だから、きっと○○はこういう作戦を取ってくる確率が高いだろう。となると自分はこうしよう。」
というのがすごく苦手です。
人の考えは無限ですから、自分が打つ手を考えるので精一杯で、相手の考えを読んだ上の自分の手となると相当きついです。
一方、囲碁の場合は、結局できることは石を置くことだけですし、その情報は全て示されているのですごく考えやすいです。
もし相手が違う手を打ってきても即座に修正が効くからです。

そのとっさの判断が苦手なためか、無意識にニュースや本など知識をつけてきたのかもしれません。
知識があれば慌てることもありませんから、2011年3月11日の地震でも家を出て家族の無事を確認したら落ち着きましたし、父が入院した時も母は慌ててましたが私は落ち着いてたかと思います。

自分の関わりあいから重要度を判定し態度を変えるのも大事なのかもしれませんが、私には出来ませんので、今後も冷静に判断しようかと思います。