3本150円と10本300円のきゅうりはどっちがお得か?

2015年11月30日月曜日

感じた事・考えたこと

やりたいことを我慢し続けると、いざ自分の心などに余裕が出てきた時にそれが本当にやりたいことなのか?やりたいけど実はやる必要はないんじゃないか?と色々考えてしまいます。

最近は外食は好きな所を選ぶようにしてますがまだまだ入りづらい店はあります。
店で買物をする場合でも同じように考えてやってるつもりですが、まだ対面販売のような店は使ってはいません。
パン屋なら何とか大丈夫なんですがね・・・

12年前に専門学校の費用100万円を無駄にした罪悪感から「自分は余計なことをしてはいけないんだ」という自己暗示みたいな事をしてしまいましたが、月の家庭の収入のうち3分の1を自分のために使わせてもらっていると考えると月7万ぐらいは飛んでいってるんですよね。
1年で84万、13年で1092万円、目の前の大きい失敗に目がくらんで長期的な考えが抜け落ちてました。
「無職だから就活以外ではあまり使わないようにしよう」では駄目で「無職だけど気分転換のためにお金はありがたく使わせてもらおう」と考えるべきでした。
そう思っていた一方で数千円の趣味の買い物やちょっとお高い数百円の食料品などを我慢し、せめてこれぐらいは良いかなと中古のゲームや漫画に手を出してしまっていました。
そこは一人で楽しむことにお金を費やすのではなく、多くの人と会える集まりに行くためにお金を使ったほうが健全でした。

タイトルの文章は図書館においてあった雑誌「プレジデント」の読み物に載っていました。
目先の安さに飛びついて残りを駄目にしたらもったいないという話で3本150円のきゅうりの方が結果的にお得になる(事もある)というもの。
私の生活で同じような行動を考えてみると、「100円を超えるカップ麺はとても買えないけど、100円を切ってるならお得かな」と考えていました。
小出しに買うのではなく欲しい時には思い切り使い必要が無い時はきっぱり買わないという気持ちを持つべきでした。
家で料理をやらせて貰う機会がほとんど無いというのも影響してたのかとは思いますがこれからはなんでも良いから色々作っていきたいですね。
タイトルのきゅうりの話で個人的な意見を言うと、この高い値段設定は家で保管しない代わりに店で保管してもらってる料金だと思うようにしています。
つまりスーパーなどのお店は管理を人任せにできて食材を駄目にする心配がない大きい冷蔵庫・貯蔵庫というわけですね。

私の20代はほぼ「無」で「体調も悪い、仕事もない。これでは遊びはもちろん人とも会う状態でもないし資格もない」というイメージで凝り固まっていました。
一体何がそうしたか?と考えても色々な要素がありすぎて「これ!」というのはないかと思います。

まあいま原因を探しても何もならないので勇気を出して何を言われても構わないという気持ちを持って色々行くしか無いですね。
明日はちょっと越谷の方へ行ってみます。