アルジャーノンに花束を 感想

2015年11月2日月曜日

その他本 徒然・駄文

映画「ここさけ(心が叫びたがってるんだ。)」、NHKの「にっぽんリアル」、そして今回読んだ「アルジャーノンに花束を」。
立て続けに自分の事象にそっくりな作品たちに触れている気がします。
アルジャーノンに至っては「いつ自伝書いたのか?」「それどころか未来のことも書いてるのか?」という気にもなりました。
これだけで私が叫びたいことの8割ぐらい書いてあるかと思います。

急激な成長で戸惑うチャーリイ、今のいきなりコミュニケーション増やし始めた私に通じるものがあります。
他の子供達とは違い珍しい病気にかかる息子、両親の言い争い、父が出て行ったこと、だいぶ似通いすぎて生々しさも感じます。
父が出て行く前の自宅のキッチンの流しに、母が思いつめて割った食器類が溜まっているのを覚えています。
夜に駅近くまで母と二人で父を探しに来てパチンコ屋をさまよったりもしました。
前の父との思い出は悲しいことにあまり無いのですが、離婚前後に新田の方の一人暮らしをしている家に行ったのは覚えています。
夜だったのですが、入口入って左側にはキッチンがありその上にはろうそくがありました。
恐らく電気代節約のためでしょうかね・・・、私のせいで色々迷惑をかけてしまいました。

何の因果かチャーリイは32歳、私も昨日で32歳。
チャーリイの8ヶ月が私の32年間を言い表しているようでその膨大な記録を二日で読んでしまった感じです。

「人間」という言葉も重いです。
手術をする前のチャーリイは人間として扱われていなかったのか?頭が悪ければ人間ではないのか?大多数の人間とコミュニケーションが取れない奴は普通の人間ではないのか?
先日NHKでやっていたとある番組で、ようやく仕事が見つかった男性のセリフ「ようやく人間になれました」。
結構な衝撃を受けました、仕事がなければ人間扱いされない世の中の空気は良く分かります。

女性に対する行動も良く分かります。
私もそんな経験全然無いですから、万一そういう状況になったとしたらチャーリイと同じような状況になってしまうかもしれません。
町中で可愛い女の子を見かけても「見てるだけで十分」と考えて(思い込ませて?)います。

後書きなどにもありますが「感動」という言葉が使われています。
こういう状況を体験したことがある身としては感動より「共感、親近感、同情、恐怖」という感情のほうが強いです。
未体験の人がこれを読んだ時どの辺に感動するのか詳しく話をしてみたいものです。
ここさけもアルジャーノンに花束をも、恐らく体験した人と未体験の人ではだいぶ感想が違いそうです。

チャーリイの経過報告を無駄にしないように生きて行きたいと思います。