家族のために土産を買うことが出来るようになる

2018年1月2日火曜日

感じた事・考えたこと 遊び・街歩き

出発前は両ヒザの痛みで脚が折れるかと思いましたが浅草行ってきました。
結果、脚はだんだん楽になり帰宅できました。

行き先が自由すぎるとどこに行ったら良いか分かりません。
なので、とりあえず、常識と時期と経験に基づいて無難な”初詣”ということになりました。
選択肢も大量にあると結局無難な物を選択してしまい、有象無象はやっぱり埋もれてしまうのかなと感じます。
Amazon・Steam現象と言いたくなります。

正月という”常識”が存在しているだけで人はこんなにも一点に集まるんだなとしみじみ思いました。
浅草寺に行こうかともちょっと考えていましたが、雷門の外まで行列ができて居るのを目の当たりにして止めました。
こうやって、大混雑を横目に静かなトイレに行ったりすると、自分は普通の人とは違う時間軸と時空間に居るような感覚になります。
警察の方が言っていた
「赤ちょうちんに触っても何のご利益もありません」
はウケました。

見知らぬ土地で周りに一人もいないとすごく寂しいですが、同じ場所でも人がいるだけで安心します。
行く方向が正しいと言われているように感じるのでしょうか?

最近、外に出て歩けるだけでも凄いことなのだなと感じます。
人生は筋トレと何度か言っていますが、子供のうちは遊び回って筋肉をつけるのだなと。
今日も電車で吊革にぶら下がる子供がいましたが
「その調子で頑張れよ」
と思いました。

親が子供のためにと思ってやればやるほど子供はいつまでも子供の精神から抜け出せないのだなと。
そこを解決する策の一つが”反抗期”なんだろうなと。
自然に子供の考えを汲み取ってくれる家庭なら必要ないのかもしれません。
自分の場合は、今日も帰宅してからリクエスト通り味噌汁作ったりと若干抜けつつある感じです。
精神年齢的には16~18歳というところでしょうか。

浅草からの帰りにお土産を買おうと思い立ちました。
お菓子や福袋にしようかと思いましたが、お菓子は家に大量にあるし無駄に高くなくてもいいかと考えたので結局煎餅を2種類、約1000円を購入し、メールで
「おみやげ買ったから楽しみにしててくれ」
と送って帰路へ。
ちなみに、せんべい屋の人に話しかけられまして、今までなら店員から話しかけられるのは恐怖でしかありませんでしたが、自分の話をしても人は結構返してくれるのだなと理解してきたので今日はすごくありがたかったです。
片道1時間でかなり凄い旅をさせてもらいました。

今まで関わりを持った人と一緒ではなく、一人で行動する時間を多く作る事により人間的に大きく成長している気がします。
そういう行動に出れる勇気を早いうちから持っていれば楽だったろうなと。

人間、なりたいものがなくてもとりあえず毎日身体を動かしておかないといざという時全く動けなくなり死ぬのだなと。
とある階段で1階から屋上まで上がってみようかと思いましたがさすがに疲れて5階で断念。
子供のうちは住居は1階ではないほうが良さそうです。
たとえ、明日脚が折れて立てなくなったとしても、かなりショックでしょうけどそれはそれで仕方ないと考えられるかと思います。
ここまで育ててくれた親には、紆余曲折、色々揉めたりメンタルが死にかけたりしましたけどとりあえず今は生きていられるので感謝しておこうと思います。

あと、筋肉がないと彼女が出来た時に一緒に長時間デートにも行けませんし、重い荷物を持ってあげる事もできませんしね。