思考と発言の曖昧化

2020年2月23日日曜日

パソコン、インターネット 感じた事・考えたこと

今日は、SEKIRO・eスポ雑誌・謎解き本(ヒラメキナゾトキBOOK・ルネと秘宝をめぐる旅)をやりました。

デジタルゲームに慣れると身体を動かしたり非電源ゲームで頭を使うってあまりやらなくなってしまいますが、そういうときこそ重い腰を動かしてやらないといけませんね。

慣れたことをやるのはとても楽ですが、楽だと刺激がない、刺激が無いから面白くもない。
楽だから面白いわけでも、面白いから楽なわけでもないですね。
むしろ「楽」と「面白い・楽しい」は相反する関係かもしれません。

積みゲー・積読を消化するのは面倒くさいですけど、面倒くさい先に面白さはあると思うので頑張ってやろうと思います。
人間、1個ずつしかこなせないって不便。


あと、インターネットでよくあるもめ事について。

インターネットって寂しいときは味方になりますが、心が病んでいる時だとなかなか刺さる言葉もあります。
特に、SNSだと興味のあることで楽しく話していたのに、突然見知らぬ人から「いや、それはおかしい」と言われる環境。
リアルでいうと井戸端会議している所の全てにアンチが湧くという感じでしょうか。
井戸端会議は聴覚過敏なのでどこでも聞きますけど、アンチはほぼいません。
先日、朝の通勤時に、「お前、蹴っただろ!」という争いを耳にして大変辛くなりましたが…
あれと同じ感覚をもしネットで有していたらと思うと恐ろしくてたまりません。

リアルだと音声が唯一のリアルタイムコミュニケーションだったのが、機械やらネットのおかげで文字情報でもリアルタイムコミュニケーションができるようになりました。
脳内で思い浮かべていただけなのにテレビや本などから不快な返事が来る感じでしょうか。
脳内で思い浮かべただけのことと、音声や文字で伝えること、これを明確に区別しないとこの先リアルでもネットでも生きていくのは辛いかもしれません。
思考と発言の曖昧化が起きているのかもしれません。

私もコミュニケーションは得意ではないですが、ボードゲームで培った「脳内は自由」という信念を忘れず・恐れず、言葉にする・文字にする重みを忘れないようにしたいです。