目に映るものすべてが人生

2020年9月7日月曜日

ニュース・記事 実際に仕事 勉強・学問

知識を吸収するだけの時間はなかなか辛いものがあります。
しかし、自分ひとりの時間で知識を吸収して、いつか必要としている人に分け与えることぐらいしか出来ないのでがんばります。

今回のタイトル、歌の歌詞にあった気がしたのですが勘違いだったようです。
もし存在してたら変更しますので、情報ください。

---------------------------
気になった記事

普段見ているサイトでも、いつもと違うカテゴリを見ていると新しい発見があります。
今回ご紹介する記事は、全5回連載されるうちの一つで今2つアップされています。

【The Teachers' Voice】生徒たちが使う端末に制限はかけさせない。こだわり続けた自由度の高いiPad導入〜近畿大学附属高等学校 乾武司教諭がめざす学びのアップデート① - こどもとIT

7年前に一学年1000人あまりに一人一台iPadを導入したという学校。
知識のある企業とかならともかく、学校で導入するというのはすごい労力だったのだろうと推察されます。

ネットがないときに分からないことがあったら、現地に行くか電話をするか手紙を出すかぐらいしか調べられない、いや、どこをどう調べたらいいか分からないことでも、検索窓に知りたい言葉を入れればそれなりに情報が出てくるというのはすごい仕組みです。疑問を調べたいときにすぐ調べられないというのはかなりストレスになるものです。そういう点では、意欲がある人にとってはものすごく勉強しやすくなっていると言えますが、逆に無限にコンテンツを消費することも出来てしまうので諸刃の剣とも言えます。

校内のフィルタリングもファイアウォール(FW)で制御しているようです。どこを許可してどこを禁止するかも普段から教える側がネットに慣れ親しんでないと判断できませんよね。この設定も出来るか出来ないかがだいぶ大きいウェイトを占めてると思います。(設定自体は学校側がやってるか業者がやっているかわかりませんが。)

”生徒たちが自発的に、自分の分からないことや疑問について調べるようになると、教師がすべての知識を授業の中で教え込む必要がなくなります。これは、授業の構造を根本から変える可能性が出てきたことを意味しています。”

色々引用したいところがたくさんあるのですが、やっぱりここですね。
やってるところはもうやってるのでしょうけど、受動的に授業を聞くという勉強法しか学校で習わなかった身としては、学びの手法と学年の上げ方が変わる時期に来ているのではないかと感じます。年齢・肩書一律でなく、知識レベルが同じ人が一緒に知識を吸収できる環境が整えば、誰でももっと楽しく勉強ができるんじゃないかと思います。

目に映ってること、耳から入ってくること、五感で感じてること、すべてが情報であり学びなんですよね。