文字だけで知識を得て会話がないとボケる & 家事のありがたみ

2018年2月10日土曜日

感じた事・考えたこと 料理・家事

今日はペア碁のイベントに行こうかと思っていましたが、疲れが溜まっていて起床から運動を始めるまで途中食事が入って1時間半、この時点で8時。
その後もパソコンでニュースチェックをして結構時間が過ぎます。
とりあえず、お昼を食べて午後から行こうかなと考えています。

ニュースチェックをしてもそれを共有する相手がいないとどのぐらい知識を手に入れたのか分からないですね。
家だと知識の増加にはつながりづらいですが、母と話が出来るのは今はありがたく感じます。
また、仕事には体力・筋力が必要だということを理解してからは、無職時代に時々でも洗濯物干しなどを手伝っていて良かったです。
時々やってるぐらいでは2年間ゆっくり鍛えなおしてもまだまだ足りないと感じるので、全くやっていなかった場合は社会に戻ることはできなかったでしょう。
やはり、仕事でも遊びでも何でも良いので若いうちから体を動かしていい汗を流すというのは大事なのだなと感じました。

人間同士の会話だと速度に限界がありますし、自分の欲しい知識が欲しいタイミングで手に入るということはあまりありません。
教えを請うてからすぐ貰えることもあれば、しばらくかかったり、特に聞いてないけど突然降ってきたり、色々です。
この速度で成長するということも学んでいかないと、時間の流れはすごく遅く感じて無駄に感じてしまうんだろうなと。
周りに人がいっぱいいると会話が途切れないので、居るだけで成長している気になってしまいますが、思い返した時にプラスになっている事が思いつかなかったらあまり意味のない時間だったということになります。

また、特定の人間同士だけだと、何かを極めることが出来る成長なら良いですが、あまり変化がない会話ばかりだと思考が停止して知らず知らずに成長がストップしてしまいます。
個人個人が別のことをやってそれを時々持ち寄るというのが賢い成長の仕方なのだなと。

家で会話がなかったり、自分の仕事がないと、
「ご飯食べたっけ?」
「薬のんだっけ?」
と、認知症みたいになりすでに30代からしてボケることになります。

今後も未知の場所で未知の人との会話で精神の成長、新たな場所へ行ったりいつもの出来事をしっかりやり身体を成長させたいと思います。
焦らずにゆっくりと。