インプットよりアウトプットが大事

2018年7月3日火曜日

テレビ・映画 実際に仕事

今日は研修がありましたが、会話と議論ができて楽しかったです。
よく知った人と同じテーマで議論するというのがここまで楽しいとは。

家で、全く発展性のないやり取りや、テレビを見て同じことしか考えないと、どんどんボケます。
家で・一人で・道中で、つまらさなさを感じていたのは”会話”が生活にまったくなかったからなんだなと。

また、録画していた7月1日のこちらを見ました。

NHK バリバラ | 相次ぐ障害者監禁事件を考える

スタジオにも出演した男性の意見に頷くばかりでした。
引きこもっていると分かってくれる相手が家族しかいないのに、会話の経験がないのでうまく言語化出来ない・家族が恐怖、という状況になるんですよね。
家族が当事者に対して怖いと思うなら、当事者だって家族が怖いんですよ。
”当事者の奇行が問題”という感じで映像が寄ってた気がしますが、家族の対応にもフォーカスを当てて欲しいものです。

「ご飯食べたか?」
と聞くと下に見られる用に感じるというのも、頷くしかありません。
今、外から帰ってきた母が同じく聞いてきました。
これが、精神的に自立してないと本当に苦しい。
親から見れば子供はいつまでも子供かもしれませんが、子供からするとそれが地獄の苦しみに感じます。

家族だけだと変化を起こすのは相当大変かと思います。
外に出て自由に行動・遊び・仕事をすると、母の会話力がいかにおかしいかが良く分かります。
今色々会話が起きていますがトンチンカンな返答が来るので困ります。
引きこもっていると、その”おかしい”に気づくことすら出来ません。
また、「家族の言っていることが絶対だ」と思いこんでしまっていると、外でいくら経験しても何も積み上がっていきません。

家庭は、ずっと同じ環境でいるということは絶対あってはならないです。
家族への対応・住環境・物の配置、人間として生存したいならその人に合わせたステージにどんどんレベルアップしていかないと苦しくなるばかりです。

引きこもりも、当人の性格だけでなくそれをサポートしてしまっている家族にも問題はあると思います。
納得して引きこもってるなら何も問題はないと思いますが、なにか変だと感じているからこそ引きこもらざるを得ないんだ、と私は思います。
”仕事” が義務ではなく、 ”生きる” が義務なのが自然なのに。
世の中の仕組みって本当におかしいですよね。

変わるのに、別に大金を使う必要はないです。
同じような高さの棚を入れ替えてみたり、左右に余裕がある洋服タンスを数十センチ移動させてみたりするだけでもだいぶ気分が変わります。
そうすると、
「あれ、これはこっちにあったほうが普段から使いやすいんじゃないか?」
という新しい考えが浮かんできますので、皆さんも是非模様替えをやってみてください。
私は、そのために今色々ものを捨てているところですが、捨てられるようになると物が片付くのがすごく楽しいです。
自分一人ならどんどん捨てていきますが、家族が一緒だと捨てる前に確認を取らなければなりません。
そこで、普段コミュニケーションが取れてないと全く片付けられず”汚部屋”みたいなことになってしまうのかなと。