存在を認識していても違和感を感じない人が、家族なのかもしれない

2019年3月17日日曜日

実際に仕事 徒然・駄文 母関係

昨日、母を連れ帰ってきた日からまだ一日ですが、すでに何も違和感感じずに過ごせてます。
職場を家族や自宅のように感じるレベルまで来ると、日常生活の一部になるのかもしれません。

また明日から仕事ですが、移動に耐えきって日常を楽しんでこようと思います。
自分以外の人と関われば絶対に違う日になりますから。

”子供から大人にどう移行させるのが一番苦痛が少ないか?”
全く分かりませんが、家を家と思って自然に過ごしているばかりでは自分だけの力で外に出ていく必要性がある、という考えに至ることはないと思います。
私は30歳という年齢を過ぎたあたりでようやく
「さすがにこの歳で仕事が見つかってないのはおかしいのでは?」
と思い至ったぐらいですから。

物の名前や過去の出来事を教えるのは簡単ですが、まだ起こったことがないし知識として存在してない概念を教えるのはとても難しいです。
私もぼんやりとしか知らないことがたくさんありますし、概念すら知らないことも山ほどあるでしょう。

「仕事」を答えのある絶対の概念だと思いこんでしまうと迷宮にはまり込んでしまいます。
その人がより自然な形でお金がもらえるものが、今の世の中の「仕事」と教えなければ。
楽してお金がもらえるなら楽すればいいし、いわゆる仕事をしなくてお金がもらえるなら仕事しなくていい。
また、人と関わるのが好きでそれでお金がもらえるなら死ぬ気でその場に辿り着こうとします。

その時その時で好きな仕事を選べる時代が来ることを祈って、明日も人と関わって楽しくお金稼いできます。