道具の使い方が分かっても、役立て方が分からないと意味がない

2017年5月6日土曜日

その他本 感じた事・考えたこと 遊び・街歩き

今日は、銀座の松屋であるからくり箱展に行く予定でしたが、近所の図書館に行きました。
その図書館では読みたい内容の本がないので、珍しく、わざわざ市外の図書館へ。

エクセルVBAの本を2時間ほどかけて1冊流し読みしてきました。
1冊読んでも、そのスキルをどう役に立てたら良いかがサッパリ分からないです。
今の状態は、道具だけ大量に与えられて問題を提供されていない状況と言えるかと思います。


例えば、「ハサミ」
皆さん使い方は分かっている方がほとんどかと思います。
紙を切ったり、紐を切ったり、時には人の髪を切ったり。

このハサミでその辺にある紙を切ったとして、それが自分の喜びにつながるでしょうか?
あるいは、他人の喜びにつながるでしょうか?
小さい子供ならともかく、大人ではまずつながらないと思います。
しかし、絵に見える形に切れば拍手喝采を浴びる「切り絵」になりますね。

どこかにロープで縛り付けられてる人や動物がいたとしましょう。
そのロープを切ったら多分喜ばれるでしょう。
しかし、その解放した人が悪い人だった場合、悪い人に喜ばれはしても大多数の人には非難されるでしょう。

床屋では注文に応じて髪を切れば喜ばれてお金ももらえますが、その辺を歩いている人の髪を勝手に切ったら怒られるし罪に問われる事もあります。

同じ道具で使い方も一緒なのに、過程が違うだけで大違いですね。


パソコンの話に戻ると、「エクセル」「ワード」という道具が与えられても、それをどう役立てるか分からないと何の意味もないんですね。
自ら役立てる考えが浮かぶ人はすごいと思います。

よく、勤続年数が数十年の人や定年を超えて働いている人に
「あなたは何故その仕事を続けているのですか?」
と聞いて
「他にやることがないからです」
と返事をする人が多くいます。
私からするとそこまで飽きずに出来るものがあるのは才能だよなと感じます。

以前、パソコン教室のバイトをやらせてもらった時に話をしたとある方が言われた言葉
「酒もタバコも女もやらないで何が楽しいの?」
聞いた当時私も当てはまるなと頷いていましたが 、楽しみを見つけられるというのは一種の才能と捉えて問題ないかと思います。
私には、一瞬面白いと思っても持続させる能力があまり無いようです。

今脇目も振らず続けられる物事がある方々はそれを大事にして欲しいものです。

そう考えると、無職期間は就労移行支援に出会うために、家族と友人に支えてもらいながら「冬眠」させてもらっていたようなものかもしれません。
自分でやることを見つけられない人間に色々課題を与えてくれるのですから。

けっきょく、

  1. 他人が作ったもの
  2. 自分が作ったもの
  3. 人と会話
  4. 国交断絶して自然で暮らす
いずれかに生きる希望を見出さないといけないんですね。