人はニュースを信じるのではなく、ニュースを発信するものを信じる

2018年3月25日日曜日

テレビ・映画 感じた事・考えたこと

フェイクニュースとどう向き合うか~“事実”をめぐる闘い~

”あるニュース”が本当か嘘かの違いで、その辺のメディアは全部同じことやってますよね。

なるべく売れるように、人の心に訴えかけるような宣伝文句を考え、映像効果を入れ、音を入れ、見た目や派手さを重視しているなと思います。
それに騙されずニュースを個別に判断できている人はどれくらいいるのでしょうか?

意外とやりがちな人が多いと思いますが、
「NHKは信じるけど、○○テレビは信じない」
とか、時々見かける気がします。
それは発信している人を信じニュースを個別に見れてないですよね。
私は、興味がないニュースに移ったらすぐにザッピングしてしまうので、ニュースに限ればここしか見ないというのはないです。

ニュース自体も、真実以外の付加情報が多分に含まれることが多く、
例えば、株価が大きく上がり下がりした時に、NHKですら
「○○が大幅に下落した要因と考えられます」
なんて言っちゃうんですよね。
ここで、「そうなんだ」と思う人と「そうかなぁ…」と思う人、2種類いるからこそ株は読めないのですが。

番組内の道路でバイクが走る例が面白く分かりやすいです。
原因の人を取り締まるだけではイタチごっこで解決されるはずがなく、イタチにまとわりつく金魚のフンを何とかする仕組みを考えないと終わりはないですよね。
そのために、学校で何が真実かを学び取る能力を鍛えないといけないんですね。

「人は信じたいものを信じる」というのが普遍なら、放送法第4条をなくしてみんな好きなニュースを発信できるようにして、組織がニュースを発信するのではなく個人が発信するほうが健全だと思います。
人である限り良し悪しの判断は個人で違うんですから、「全ての放送事業者は公平公正に・事実を捻じ曲げないで」とは無理がありますよ。
拡散レベルを街角のおばちゃんの井戸端会議レベルにしてファクトチェックをする能力を鍛えないと、メディアの情報を鵜呑みにして情報に惑わされて疲弊する人生になってしまいます。
ニュースじゃなくて、出来事に対する雑談を放送すれば良いんじゃないかとも思います。

今ならYoutuberとか出てきているので、地元情報を発信するYoutuberとか出てきて、仕事ではなく本当に発信したいニュースだけを発信できる情報化社会になって欲しいと思います。
それが健全な国民総メディア化ではないかと。