人間、生きてるだけで”働き者”

2018年3月13日火曜日

感じた事・考えたこと 就労移行支援など

2018年03月西武学園文理中学校【社会】 | 日能研 シカクいアタマをマルくする。
”「働く」ということについて、次の文章を読み、あとの問に答えなさい。
(文省略)
(問) 働かなくても生活をするために十分なお金が国からもらえるとしたら、あなたは
働きますか?
働きませんか?
どちらか一方を選んだ上で、その理由を具体的に答えなさい。”
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待っている間は無駄かと今までなら思いましたが、それなりに発見と成長がありますね。
全部楽しいわけではないのが辛いですがそれもまた人生かなと。

こう、高校生までは何不自由なく生活でき、生活スキルと社会に適応する脳力を教わっていなかった14年間無職期間を経て、ジョブセンターと就労移行支援事業所に2年間通ってみて色々気づきました。
”人間生きてるだけで立派な働き者”
そう思いました。
自分と時間を共有してくれるために、違う場所から同じ時間同じ場所に集まってくれるなんて凄いことです。
毎朝、起きてたどり着くのも結構メンタル的にも身体的にもキツイと思います。
それがちゃんとやってくれる人がほとんどだとなんか感動します。

冒頭のリンクの問題を電車で見かけました。
その質問をするなら ”働く” ということの定義をしないといけません。
この書き方だと、私は
「働く=お金がもらえる・大変・辛い」
「遊ぶ=お金減る・楽しい」
と思ってる方が問題を出したのだろうと感じます。
私は思います、生きてる上で遊びと仕事を明確に分ける必要があるのだろうか?と 。
では、お金が貰えて楽しいことはなんなんだ?という疑問がわきます。
質問の意図としては、「生活が十分できるとしてより贅沢をするためのお金が欲しいですか?」なんだろうとは思います。
しかし、「十分な生活」って?という疑問がわき、憲法の「健康で文化的な最低限度の生活」の定義についての疑問につながってキリがないですね。

この考えは、バイトでもパートでも正社員でも無職でも引きこもりでも、どれでもない就労移行支援事業所という”「働く」とはなにか?”という所に2年間修行できたおかげです。
これだ!という答えはないですけど解答の一つとして
”活躍できる場所があり、ご飯が食べられ、安心して寝泊まりできる所があり、それが継続できること”
それが働くであり、生きることであり、幸せではないかと。

今の環境に不満がある人は、自分で自分を高める方法が学べていないか他人のせいにしているかどっちかじゃないかなと。
つまり、自分が未熟なのだと。
その環境でもう伸びるところがないと思ったら自分で移動しないとダメですね。
私の場合は、それが苦手で出来ないので与えられた作業に全力で取り組み、待つ時は徹底的に待つ、ということをやるのみです。
引きこもり時代の私に言ったら10年追加で引きこもりそうですが(笑)

就労移行支援事業所のみんなを観察していると、眠そうにしている人・スマホをいじっている人・楽しく話をしている人、彼らは家でもきっとそういう環境にいるのだろうと。
好きで自分の殻に閉じこもってるのではなくそういう環境しか経験していないだけなのだと。

また、生きてることはそれだけでリアルタイムだし経験だし報酬が貰えるか貰えないかでやることを決めるのはもったいないし下衆いです。

社長でも政治家でも会社員でもパートでも無職でも引きこもりでもホームレスでも、そこまで生きて来たということには感謝と労いの言葉を差し上げたいです。
特別扱いするわけではないですが、引きこもりも必死で戦っているのです。
適切な環境と指導者がいれば、私みたいな14年間無職でもたった2年で大人な心に近づくことは出来るんです。

生きてるだけでそれなりに幸せということを胸に今日もしっかり休み明日につなげたいと思います。