必死こいて生きる、そんな必要はあるのか?

2015年12月29日火曜日

母関係

今日の母ちゃんは久々に不機嫌オーラ全開でした。
クリスマスから結構良い感じだったのに、波があるんでしょうか?
今日、人と会う用事がたて続けにあったからとかでしょうか。

まあ、どっちにしても、私の方は全く嫌な気分になることもなく、そこそこ平静でいられたかと思います。
片方が大丈夫になると、片方がダメになる、ってなってそうですがまあ嘆いてもしょうがないです。
好きなことをやるしか無いです。

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母ちゃんの口から最近良く聞く
「必死こいて生きてきたんだよ!」
という言葉。

確かに、ある時点では必死にならざるをえない事もあるかと思います。
でも、いつかは心の底で割りきらないと駄目になっちゃいます。
今までの私とか、今も続いてる母みたいな状態でしょうか。
しかし、これを修正しようとしても、他人がどうこう言っても本人が納得して修正しないと、表面だけ納得されても後々こじれるだけですし、困ったもんです。

こういう時に、要請なしでもとりあえず話を聞いてくれる人が現れる仕組みがあれば、良いのになと思います。
当事者は相談したくても相談できない心境のはずなので。

まだ今の父と一緒になる前は、母子家庭で一時生活保護にもなったそうで、大変苦労はかけたかと思います。
しかし、どんな状況でも「その状態を楽しむ心の余裕」が無いといつか壊れちゃいますよね。

私のプチ反抗から、うちの状況に類似した本攻めなどで、だいぶ負担をかけてしまったようです。
ただ、その時の私の気持ちは 「今まで私が感じていた気持ちを分かって欲しい」 という一心でした。
結果的には母にはマイナスだったようですが、私の気が楽になった事で良しとするのかどうなのか・・・

今日の話を聞いてても、家事全般(料理・皿洗い・洗濯 など)は「やらなければならない」事項のようです。
私としては、そこに立たれているから出来ないのであってやらないのではない、と言っているのですが全く通じないようです。
一人なら自分のペースで出来ますが、母ちゃんがいる時には、全部母ちゃんのペースに合わせろというのはちょっと・・・
一言声かけたら「言わないでもやれ」となるし、声かけないでやったら「一言声かけたら?」となるし、さっぱり分からんです。
お互いの心が安定して、生活していくと言うことがこんなにも難しいことなのですね。

最近勉強をしててちょっとやりたいことが出てきまして、明日父ちゃんに話してみようかと思っていましたが、若干決心が鈍っております。
とりあえず、聞くだけ聞いてみます。