親が死んだら、悲しいか?嬉しいか?

2015年12月23日水曜日

その他本 感じた事・考えたこと 母関係

「母ちゃんはこれまでよく頑張った。これからは、父ちゃんにも私にも他人にも振り回されること無く自分の人生を楽しんで良いんだよ」




今日こちらの本を図書館で借りてきました、今月新着らしくタイミングが良かったです。
主人公、道子=私、道子の父=母、と考えるとだいぶ辻褄が合います。
道子の父、紘一は幼いころ養子に出されたとか、色々一致しすぎて怖い所も多く、我が家の、過去・現在・未来、について書かれてる気がしてきます。
未来はまだ変えられるはずなので、この本の結末のように明るい未来にしていきたいと思います。

この本のお話は「生まれた時からそういう環境だった」というストーリーですが、我が家みたいにあることをきっかけとして・・・ということも多々あるのではないかと思います。
父方の祖父の死・父のリストラ・私の持病の公表&年末年始にかけての不登校、これが一気に来たとあればおかしくなっても仕方ないかなと。

両親には意見が言えないような環境&性格だったので、その後の対処が本当に遅れに遅れてしまいました。
口では言えないので「Fへ(Father)。Mへ(Mother)へ。」という二人に言いたいことをコピーしたことを渡したこともあります。
しかしあまり役には立たず、当時の母のセリフは何も覚えていませんが後ろを向いて黙っていて、元々は温厚だった父も「こんなのには従わないぞ!」という始末。
その時を含め何度絶望のどん底に叩きこまれたことか。
一応母はその紙はしばらくキッチンの上の食器棚に保管しておいてくれたので、全く響いてないわけではないと思います。
私が過呼吸で運ばれ、治療が終わり、病院の待合室で3人で座っていた時。

私「もう嫌だ、こんな所居たくない」
父「・・・、そう言ってもなぁ・・・、しょうがねぇよなぁ・・・」

という会話がありました。
何か上手い作戦があればこの時でも状況は好転したかもしれないのに、こういうチャンスが物にできず本当に心苦しいです。

これまで色々母に意見を言ってきたのは、「母が幸せになればきっと私も幸せになるだろう」という考えからです。
民生委員をやめて欲しいといったのも、家に帰ってきてからメンバーや会議の愚痴しかこぼさないので、「何を楽しみにそんなところへ行ってるのだろう?」という気持ちでした。
しかし、今考えると住民の人達に喜んでもらえるという”承認欲求”から来てるのかもしれないと思いました。
私も、承認欲求はありまして、このブログを書いたり、ネットのあちこちで色々コミュニケーションを取ったりと言うのは、リアルでは手に入っていない何かを埋めるためでしょう。
ウィキペディアの記事を参考にすると、母が「上位承認」で、私が「対等承認」かと。

今は、ワークショップや就活相談などに行っていてそこなら「どうやら自分はここにいて良い存在みたいだぞ」と感じられる時があります。
しかし、そう感じているのと同時に変な気分に襲われます。

「何で自分はこんなとろこにいるんだろう?」
「私の20代には何かあったのだろうか?」
たまに将来の話になって、母が「お前も将来、結婚して、子供が出来て~」という話をさも当然のように言いますが、「私もまた同じことをするんじゃないか?」と恐ろしくて結婚はおろか好きな人を見つけようという考えは今できません。
まして、今は仕事もない状態、「果たして自分が新しい家族を持つことなんてあるのだろうか?」と、とても疑問です。

私はけっこう人の話を疑るような状態ですが、昔はもうちょっと信じてたような気もします。
母もやっぱりあまり疑わないというか、あまり言葉の裏を探れる人ではないです。
なので、文章や言葉上の表現をそのまま受け取ってしまい、冗談を理解したり、暗に含まれている表現を読み取るのは弱いです。
私も昔はそうでしたが13年半という長い無職期間の中でネットが使えたため、文章から「つまり相手はこういうことをいいたいのだな」と言うことが結構分かるようになってきました。
まだ、それを現実のコミュニケーションで応用できる機会はあんまりないのですが・・・

「絶対に、私が受けた仕打ちと同じ事を、子供にはしない!」
と頑張り過ぎると「~しなければならない、~すべきではない」という両極端の考えになってしまうのかなと思います。
しかし逆に、受けた仕打ちを深刻に考えない場合、同じことを子供にしてしまうのではないかと。
この違いはそこに「罪悪感」があるかないかではないかと思います。
努力家過ぎると上手く行かなかった時に罪悪感を感じ、あまり気にしないタイプは遺伝で罪悪感を感じずに子供を(身体・精神問わず)虐待してしまうのではないでしょうか。

この本の最初の所にある食事風景、うちも現在そんな感じになることが多いです。
恐らくお互いに、楽しく自分の意見を言いたいだけ、だとは思うんです。
しかし、母が何かと物事を一般化したり、外国人を蔑むような発言をしたりされると、流石にこっちも黙っていられなくなり口論に発展します。
母の方も、私が口を出すことで「自分の考えが否定された!悔しい!」という感じなのかと思います。
ここでも、私が認められていないという点の弊害が発生しております。
しかしよく考えると、民生委員の会議などの愚痴を聞いているとどうも「自分の考えに合わないから嫌い」と言ってるようにも聞こえるんですよね。

母は昔から誰にも頼ったり相談したりということを、ほとんどしてこなかったように思います。
ひどく悲しいことがあった時は一人で泣いたり、茶碗をキッチンで割ると言うことがありました。
あの音はなんとなく今でも残ってる気がします。

私もそういうタイプなので気軽に人に話しかける事ができる人は羨ましいです。
気軽に話しかける事ができる人に話しかけてもらっていたら、また違う人生があったのかもしれませんが、過去のことはしょうがないのでこの先の行動と考え、特に「考え」がすごく大事だと思います。

この本の最後の方にある会話が、簡潔に要点を表していると思います。
”道子「お父さんもたくさん苦労して、辛かったんだよね」 
 父「うん、うん」 
 道子「でも、お父さんの娘に生まれたことが苦しくて苦しくて、ずっと「死にたい」と思って今まで生きてきたんだよ」”
今の私と母がこれを真に理解するのは難しいかと思いますが、きちんと理解し自分が自分らしく生きれる環境に持って行きたいと思います。